もしばれだら、・・・ただじゃおがねぇがんな…|朝ドラ 「エール」 |観点 と 立場

こんにちは。今日は定休日なので、PLLもおやすみしますね。

近況報告

昨日は、照明の調整と、ちょっとした大工仕事、全体の整理整頓をしていました。8割くらい整ったかなーと思っています。あとは、動線を考えて細かい部分の整理整頓と、商品のディスプレイです。営業再開まであと3日です。がんばるぞー。

第11週「家族のうた」|NHK連続テレビ小説「エール」

朝ドラを見ました。本日公開の53話で、主人公の弟さんが、こんなセリフを言っていました。

「もしばれだら、・・・ただじゃおがねぇがんな…」

今回は、朝ドラの内容はNHKさんの公式サイトをご覧いただきながら、ボクが気になったことを掘り下げていこうと思います。

https://www.nhk.or.jp/yell/

ちなみに、プラーナ のサイトで一番読まれている記事がこちら。

努力って、もっと苦しいもんなんじゃねぇの?|朝ドラ 「エール」 |観点 と 立場

 

以下、ネタバレを含みますので、気になる方は、ご注意ください。

 

 

 

 

実は、ひさしぶりに観ました

前回のレビューを書いてからひきつづき観ていたのですが、なんとなく観なくなってしまいました。ところが、今日は定休日ということもあって、ふと「観てみようかな」と思って、観てみると、ちょうど良いタイミングでの「再会」となりました。

裕一さんと同じ気持ちで観れた

途中のエピソードを見ていないので、「レビュー書けないかも」と思ったのですが、53話では、ちょうど実家に帰省するというタイミングでした。裕一さんには裕一さんの時間が流れていたように、プラーナにはプラーナの時間が流れていました。そこからの、実家への帰省でしたから、裕一さんとプラーナの気持ちは、ほとんど同じ、ということで、レビューしていきたいと思います。

浦島太郎状態

公式サイトからの今回のあらすじはこちら。

恩師の藤堂先生(森山直太朗)に依頼され、福島の小学校の校歌を作曲することになった裕一(窪田正孝)。完成披露会をきっかけに音(二階堂ふみ)を連れて福島に帰ってくる。故郷を飛び出したきりだった裕一のために、父・三郎(唐沢寿明)、と母・まさ(菊池桃子)は懐かしい仲間を呼んで歓待する。しかし弟の浩二(佐久本宝)だけは裕一に冷たく、いらだっているのだった。そんな中、音は三郎のある異変に気づき・・・。

ボクが驚いたのは、「こどもが生まれていたんだ」ということ。これは「幸せの象徴」ですよね。家族円満、仕事も順調。裕一さんはうまくやっている、ということです。

そこからテンポ良く、ストーリーは進んでいきます。

家を捨てた裕一だが、家に帰って良いのか

と葛藤しますが、まわりの人たちからの「家族(母親)のぬくもりや思い出」に後押しされて、帰省することにしました。この帰省にも、たくさんの理由があったので、どれが決めてになったというよりも、「帰省する時がきた」という感じです。

凱旋帰省ということもあって、手厚いおもてなしを受けます。幸せも最高潮という状態で、実家の老舗呉服屋「喜多一(きたいち)」へ戻りますが、半年ほど前に店を畳んでいたとのこと。

タイやヒラメの舞い踊り

裕一さんの視点

なんとなくひっかかるところもありますが、みんなが祐一さんの帰省を喜び、歓迎していたので、その流れに乗って、宴会(=タイやヒラメの舞い踊り)が始まります。

宴会には、懐かしい顔が勢揃いで、祐一さんも再会を懐かしんでいますが、それぞれ、みんなの状況が変わっていることに、戸惑いのような感情を覚えている様子でした。

「もしも、ボクが店を継いでいたら、世界線は違っていたのかもしれない」

「ボクが家を捨てたことで、みんなの幸せを奪ってしまったのかもしれない」

そんなことを思わせる、すばらしい演技、演出、構成でした。

音さんの視点

一方、妻の「音さん」は、宴会の台所をお手伝いするために裏方に回ると、祐一さんの母(まさ)や父(三郎)と、やりとりがあり、過去の無礼や感謝の気持ちを伝えます。

音さんは、自分に素直で、きちんとそのときに自分の気持ちを伝えるところが、すばらしいですよね。もともとの気質もあるのかもしれませんが、幼い頃に不慮の事故で父を亡くしているという経験から(当たり前に帰ってくるはずの父が帰ってこない、という経験から、後悔したくない、という教訓があった?)、「素直に、気持ちを伝えること」ができるのかもしれません。

もっとも大きな変化

ボクが一番おどろいたのは、伯父の「権藤茂兵衛(風間杜夫さん)」が、陶芸を始めていることでした。信じられますか?あの伯父さんが、陶芸を。

三郎は、茂兵衛のぐい飲みで酒を飲んでいることから、「互いの盃を交わしている」というような象徴として考えることができるかもしれません。以前は相対することもあったのですが、いまは、お互いに打ち解けあっているのかもしれませんね。今後の展開に注目です。

ここではないどこかへ

裕一さん(兄)と浩二さん(弟)の関係性の象徴として、「Paris」と書かれた「スノーボール」が登場します。これは、裕一さんが父に連れられて買い物に行った時に、弟の浩二に唯一のお土産としてプレゼントしたものでした。ところが、家を出る時に、弟から突き返されてしまいます。そのスノーボールがまた、登場します。

このスノーボールは、

  • 裕一さんの海外への憧れ(西洋音楽への憧れ)
  • 現実逃避したい気持ち(幼少時虐められていた)

を象徴しているように思いますが、これを弟にプレゼントしました。弟の浩二さんもうれしかったようですが、兄の裕一さんの状況を見ていると、

  • 現実から目を背けて逃げている
  • かなうわけもない夢ばかり見てなにを考えているんだ

という「象徴」にもなっていきます。

スノーボール1つとっても、立場と観点によって、まったく違うものに映るんですね。

竜宮城から帰ってきた裕一に待ち受けていた現実とは

宴会も終わり、もう少し実家に滞在しようと決めた裕一には、実家の現実が突きつけられることになります。

母の「まさ」は、「音」に、「父の三郎は、胃潰瘍だ」と告げます。これは、母の優しさでもありながら、事実を知らせない(心配をかけさせたくない)、という選択によって「家族ではない」という「心の距離」を感じさせることにもなるでしょう。これは裕一に孤独を感じさせることになるかもしれません。

弟の「浩二」は、兄の裕一に詰め寄られ、事実を告げます。「父の三郎は、胃がんで、長くはない」と。しかも、父の三郎本人には、告知していないとのことです。そこで、今回の核心部分となるセリフが。

「もしばれだら、・・・ただじゃおがねぇがんな…」

プラーナの考察

おそらく1930年代のことだと思いますが、「がんの告知」については、本人には知らせない、というのが一般的だったのでしょう。それが「時代の雰囲気」であり、「家族の対応」であったのでしょう。

しかし、裕一はどう考えるのでしょうか。

父に愛され、自慢の息子となって帰ってきた。裕一のいちばんの応援者は、父の三郎です。どんなにピンチな時も「だいじょうぶだ、おれにまがせどけ」と言っては、「やっぱりだめだった」という頼りがいが、あるようでない(?)三郎ですが、裕一と一緒に喜び、応援してくれていた、一番の理解者です。

一方で、弟の浩二は、「家族の幸せ」を考えて、告知をせずに、隠し通そうとしているようです。

家族の幸せとは

「父のため」ということで、本人に隠そうとしていますが、本音は「じぶんが傷つきたくないから」ではないでしょうか。父が苦しみ、悲しむ姿を見る「自分」がイヤだ。母の「まさ」も、弟の「浩二」も、自分が傷つき、悲しみたくないから、現実から目を背けている。

三郎は、明るく前向きでお人好しであることから、(仕事ではネガティブに働く場面もありましたが)ヒトとしては周りからの信頼もあるようです。そんな三郎は、きっと、がんの告知をされたとしても、「だいじょうぶだ、おれにまがせどけ」と笑いながら、受け入れるような気がするのですが、「まさ」と「浩二」は、その選択をしませんでした。

家族のうた

第11週のテーマは「家族のうた」です。これをみて、ボクが思い浮かんだのは、妻の「音」の「関内家」のことです。関内家では、父を交通事故で亡くし、家業をはじめ、生活をどうしていくか、父を失った悲しみをどう乗り越えていくのか、という場面がすでに描かれています。

裕一さんが父の死を乗り越えるために、きっと、いつものように、「音」がまた支えてくれるのではないでしょうか。弟の意向もありますが、音はすでに父との別れを経験していますから、そこで学んだことを裕一さんに伝えるのではないでしょうか。

今週は目が離せませんね!

さいごに

いかがでしたでしょうか?エールについてはここまでとさせていただきます。ほんとうに、たのしみですね。今回のエールを見て、ボクが感じたことを、もう少し書かせてただきます。

人とヒトについて

がんの告知、もそうなのですが、「家族のため」「だれかのため」というのも、深く掘り下げていくと、最終的には「じぶんのため」にやっていることなんじゃないでしょうか。つきつめていけば、「自分が傷つきたくない」というのが、根底のあるのだと思います。

エールで言えば、

  • 母の「まさ」だって、傷つきたくない
  • 弟の「浩二」だって、傷つきたくない

わけです。

一方、胃がんの本人である父の三郎は、

  • だいじょうぶだ、おれにまがせどけ

というヒトですから、なんとか折り合いをつけて生き抜くのでしょう。むしろ、自分が傷ついて周りが幸せになるのなら、それでいい、と思うのではないでしょうか。

ヒトは傷つき、傷つけ合う生き物

こうやって俯瞰してみると、人は「傷つくか/傷つけるか」という、「傷のやり取り」がドラマとなり、いろいろな感情を生み、行動し、考えるわけです。

ハリネズミのジレンマのように、近づきすぎても、傷つけてしまう。

かといって、傷つかないように距離を取ると、孤独を感じてしまう。

人とコミュニケーション を取ると言うことは、なにかしらの「傷」のやりとりがあるわけです。

傷をどう扱うのか

どうしたって、ヒトは「傷つき/傷つけ合う」のです。となれば、ボクたちは、どうやって生きていけば良いのでしょうか。その答えの1つとして、

「傷をどう扱えば良いのか」

ということになるのかと思います。

ここで、最近、ボクがもっとも衝撃を受けた、エッセイをご紹介いたします。

作家 岸田奈美さんが辿り着いた境地

https://note.kishidanami.com/n/n47d84adddd8b

この中で、作家の岸田奈美さんは、こう語りかけます。

傷の痛みは、人生においてつきまとう。

だけど、引き継ぐことが歴史と人間の本質である以上、治すことも払うこともできない。

じゃあ、どうすればいいのか。

傷の輪郭を、深さを、かたちを知るしかない。
傷を知れば、痛みへの予防と対処ができる。
それこそが「癒やす」作業だと思っている。

なんということでしょう。

「傷をつけたり、傷をつけられたり」するその先には、こんな世界があるんだ、と。

さらに、岸田奈美さんは、

傷は、いつか灯台の光になる

という境地に辿り着き、エッセイを閉じます。

さいごのさいご

いかがでしたでしょうか。今回は思った以上の長文になってしまいました。が、PLLと毎日の更新を合計すると、このくらいの文字数になっているのか、なんて妙な納得もしてしまいました。

エールの話に戻りますが、弟の浩二さんは立場的にこーゆー役回りになっていますが、エール全体を通しても、やはり、「応援」というのが、生きる力や勇気を与えてくれる、という大きなテーマを感じます。

「自分の選択が、みんなの幸せを奪ってしまった」

というのは、やさしすぎるのかもしれません。というか、考えすぎだし、逆にみんなに失礼だし、おこがましいにもほどがある!・・・なんてね。笑

元・川俣銀行のみんなや、元・喜多一の番頭さんだって、裕一さんの同級生だって、みんな、それぞれの状況に応じて、精一杯、幸せに、生きているんです。

そのうえで、互いに、傷つき、傷つけ合うのが人間ですから、その「傷」に敬意を払い、リスペクトして、相手を尊重することが、大切なのかと思いました。

 

やっぱり、応援するのは、よいですね。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

トップの写真は、NHK連続テレビ小説エール公式サイトより、スクリーンショットでお借りいたしました。泣ける。