吉本隆明 共同幻想論|100分 de 名著 – NHK|


今回は、思想家 吉本隆明 さん の 「共同幻想論」について、NHK の 「100分 de 名著」という番組を見て学び、考えたので、紹介したいと思います。

今回の企画意図について

まずはこちらをご覧ください。今回の指南役、先崎彰容さん(せんざき・あきなか/日本大学危機管理学部教授)によるコラムです。ここに、今回の企画意図や背景が描かれています。

https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/99_yoshimoto/guestcolumn.html

公式サイトでの番組概要をご覧ください。確認ください

https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/99_yoshimoto/index.html

ボクが感じたこと

なぜ今注目されるのか

これは、いまの空気感(時代)を整理するところから始まります。これは、先崎さんのコラムにあります。ひと言で言えば、「多忙な時代である」ということです。簡単に列挙すると、

  • 社会的包摂性がなくなってきていることからの多忙
  • 殺伐とした個人間の競争社会になっていることからの多忙
  • インターネットやSNSの普及拡大による多忙

この「多忙な時代」のおかげで、

「高速度化する現代社会は、安定した人と人とのつながりが非常につくりにくい」

と先崎さんは語りかけます。

とくに、社会問題として、感じ取られていることが次の文章にまとめられています。

またネット上には夥しい数の「論客」が出現し、他者に心ない批判や罵倒を浴びせかけるバッシングが猖獗をきわめている。自分は傷つかない場所から他者を糾弾し、小粒化した正義観が社会を覆う今、日本はとても窮屈で生きにくい社会になっていると思います。

これはボクも日常的に感じていることです。文章うまい。さすがプロ。

で、これを受けて、次のように語りかけます。

今、私たちがなすべきことは何でしょうか。
自分の正義観を信じ込んで、善意の斧を振りあげることではないでしょう。こういう時こそ、「私たちはどのような人間関係をつくるべきか」、「自分は、独善に陥っているのではないか」といった問いに戻る必要があると思います。世間が騒がしい時代ほど、何か気の利いたことを言いたくなり、したくなる。そうした「多忙な時代」の忙しい心を脇に置き、もっと原理的・本質的な問いを立てる「勇気」が必要なのです。

おぉぉ。これこれ、これがボクが悩んでいることを、見事に言い当てているように思います。「善意の斧を振りあげる」これが、なんとなくボクか感じる時代への違和感です。

「言っていることは正しいんだけれど、それって、いいのかな?」

こんな違和感を、みなさんも感じていませんか?

ボクの受け取り方

この番組を見て感じたことや思ったことを書き出してみましょう。

まず、先崎さんがおっしゃっているように、これまでの社会的背景がある。昭和、平成、と流れてきた「闇」みたいなものです。そこに、令和になってから「新型コロナウイルス感染症」の登場です。これは、「戦前/戦後」のような影響があるのかと思います。ボクは戦争を体験していませんが、今の状況に近いのかな、って思っています。まとめると、

  • 昭和、平成と流れてきた、時代の闇
  • SNSによる誹謗中傷、時代の目
  • 新型コロナウイルス感染症、時代の不条理

これらがあいまって、ボクは(わたしたちは)、モヤモヤしているのかと思いました。

人間は、どんなことを考えるのか

どうして、人間ってこうなるんだろう。という答えを、吉本さんは、次の観点から指摘しました。

  • 個人幻想(=妄想?)
  • 対幻想(=恋愛?)
  • 共同幻想(=ネット?)

これらの「3つの幻想」という観点から、個人と共同体との関係を問い直していくことを提案してくれました。これをネガティブに言い換えるならば、

  • 不倫
  • 誹謗中傷

があてはまるかもしれません。あ〜、いやだいやだ。ツァラトゥストラ的に言えば「嘔吐!嘔吐!嘔吐!」でしょうか。惣流・アスカ・ラングレー的に言えば「気持ち悪い」でしょうか。

吉本さんは、もしくは番組では、これらに対してあくまでも「ポジティブに」解決しようという切り口で読み解いています。いま、ここではネガティブな言い換えをしましたが、これらにはポジティブも存在します。

番組を通してボクが感じたのは、

  • 「負の共同幻想」に対して、「正の個人幻想」がカウンターにならないだろうか

という試みなんだと思いました。

番組から提案された答えとは?

ひと言でいえば、「自立しよう」ということのようです。これは、第4回の概要に凝縮されているでしょう。

吉本は、国家の成立機序を解明した上でその国家をどう相対化し個人がどう自立できるかを問う。その際の鍵概念が「沈黙の有意味性」だ。吉本にとって「沈黙」とは国家を沈黙をもって凝視するということが含意される。声高に国家を批判することでは何も変わらない。庶民たちが日常に根をはりながら沈黙をもって問い始める「違和感」や「亀裂」。そうした日々の生活感に寄り添いながら思考を紡いでいくことにこそ人が自立して思考する拠点があるという。第四回は、私たちが国家を相対化し対峙する視座を持ちうるかや、真に自立して思考するとはどういうことかを、問い直していく。

その先に

まさしくそのとおり、なのですが。これをみたボクは、「・・・で?」と思っちゃったわけです。すみません。思っちゃったから、しょうがない。

ボクは自営業をして自立を手に入れましたが、10年目を迎えて、個人幻想による自立には、限界を感じてしまいました。こう考えると、自営業とは、個人幻想による自立の試み、なのかとも思いました。(あたらしい解釈!)

  • 沈黙
  • 違和感
  • 亀裂

これを抱えてきましたが、10年は、抱えすぎたのかもしれません。

そこでぼくはいま、自立した対幻想、自立した共同幻想、に歩みを進めているのかもしれません。「沈黙/違和感/亀裂」を抱えている人たちとのつながりを求めているように思います。

共同幻想との関わり方

共同幻想を拒絶し、断絶することではなく、ボクは、「どうかかわっていくのか」ということを考えています。共同幻想には、ポジティブな側面もあれば、ネガティブな側面もある。要は「使い方のこと」を考えているのかもしれません。

さいごに

いかがでしたでしょうか?今回は、思想家 吉本隆明 さん の 「共同幻想論」について、NHK の 「100分 de 名著」という番組を見て学び、考えたので、紹介しました。

吉本隆明さんのことは、名前は知っていたくらいでしたが、こうやって読み解き、紹介していただいて、とても勉強になりました。こういう人たちの考えた時間を使わせていただいて、自分の人生の糧にするのは、とても有意義ですね。「ありがとうございます」の言葉しかありません。

こうやって振り返ってみると、「勇気」がキーワードになるのですかね。勇気ってどうやったら湧いてくるのでしょうか。そういえば、アドラーも「勇気」がキーワードになっていましたね。個人的には、ちょっと違和感も感じるけれど、今回はここまで。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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<自己紹介>
ハーバルカフェプラーナ店主の神馬(ジンバ)です。2011年4月からプラーナを開業して、ハーブとアロマの専門店をしています。日本メディカルハーブ協会認定のハーバルセラピストです。ハーブ専門家として活動や、セラピストとして「ライフスタイルデザイン」のアドバイスをしています。お仕事のご依頼、お待ちしております。

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