昭和のマリオと令和のゼルダ

ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド というゲームをしています。

甥っ子にソフトを借りているのですが、まず、操作がとてもむずかしい。

思ったように動き回れないことがストレスになり、そんなにたのしくない。

しかしながら、それなりに続けていると、なんとか歩いたり、走ったり、ジャンプしたり、飛んだり、敵をやっつけたりできるようになりました。

そんなことをしながら自分自身のゲーム体験を振り返ってみました。

かつてはゲーム少年だったボクは、それなりに腕前に自信があったのです。

ところが高校生くらいからそれほど熱心にやらなくなってしまい、大学生時代、社会人時代、自営業時代もゲームから離れておりました。

「あれ、こんなにゲーム、下手だったっけ?」

これが久しぶりにゲームをしたボク自身の感覚でした。

しかしながら25年くらいはゲームから離れていたため、ブランクがあったわけです。

果たしてボクはゲームが下手になったのか。

いや、時代の解像度が上がったんだという結論になりました。

というのも、昭和のマリオ(スーパーマリオブラザーズ)は、横スクロールで、コントローラーも、AボタンとBボタンくらいのもの。

そこから、スーパーファミコン、プレイステーション、などを経て、ABXYと4つのボタンに、さらに、LとRというサイドボタン。

Nintendo Switchに至っては、ZLとZR、さらにジャイロセンサー(コントローラーを傾けると操作できる)、などとなっております。

操作がとても複雑になっている。

でも、やれることが増えているし、自由度も高くなっている。

令和のゼルダでは、武器や防具が壊れます。

左右上下に移動できます。

高いところに登れば寒くてハートが減って凍死します。

川や湖を泳いでいるとがんばりゲージが尽きて溺死します。

高い崖から落ちると転落死します。

このように死に対する解像度もあがっています。

しかしながら、昭和のマリオをしているときにもそんな疑問は持っていたわけですが、ゲームってそういうものだろうと割り切ってしまい、それがもう常識になっていて、リアルワールドとは違うゲームワールドの常識として定着していたのでした。

令和のゼルダをやっていると、キャラクターの見た目も、声(ボイス機能)も、解像度が高くて、まるで映画を動かしているかのようです。

昭和のマリオと比べると、あきらかに解像度が高く、生身の人間感が伝わりやすくなってきている気がします。

ゲームキャラの死の恐怖や操作のストレス、ゲームなのに痛みや悲しみが伝わってきて、プレイヤーボク自身のなにかもすり減っていくような感覚があり、慎重に操作するようになってきました。

令和のゼルダでどうしてもボクの腕前ではクリアできないシーンがありまして、甥っ子にやってもらいました。

甥っ子は、かつての昭和のマリオをプレイしていたボクのような、猪突猛進、パワープレイ、死を恐れない、勇猛果敢なプレイスタイルでした。

そうか、甥っ子にとってこれはただのゲーム。

かつて昭和のマリオで何千回も死んだボクと同じスタイルだ。

そんな感覚をつかんだら、昭和のマリオも令和のゼルダもやっていることは一緒なんだと理解できたのでした。

・困っている姫を助ける

・障害物を避ける

・目的を阻害する敵をやっつける

そう、本質的にはやっていることは一緒で、解像度が違うだけなのでした。

そんなこんなで、ゲームで冒険をしている少年の心は変わらないのではないかと思ったのでした。

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